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本編第1章 理が崩れた日、線を引く少年が生まれた

第3話 理(ことわり)を恐れる村

理を恐れる村 本編
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 谷底の村へ向かって、荷車はゆっくり転がっていった。
 ……はずだったが、その前に一度だけ止まった。
 ガルドが足をぐっと踏み込み、荷車を止めた。
 がらり、と車輪の音が途切れる。
(どうした?)
 問いかけるより先に、耳が勝手に別の音を拾った。
 ずっと遠く。
 谷を挟んだ別の斜面のあたり。
 金属同士がぶつかる甲高い音。
 短く切れる息。
 土を蹴る足。
 三人分。
 呼吸のリズムが違う。
 ひとつは前に出る癖。
 ひとつは一歩引いて周りを見る癖。
 ひとつは間合いを測り続ける癖。
 そして、もうひとつ。
 低く濁った、嫌なうなり声。
 喉と肺の形がおかしい。
 人じゃない。
『戦闘音です』
 リラが淡々と言う。
『距離三百メートル前後、外縁の灯籠列付近。三対一。大型寄り』
 ガルドは前方をにらんだまま、眉間に皺(しわ)を寄せている。
 多分、かすかな光は見えている。
 だが、音までは届いていない。
 遠くの斜面で、白いものが一瞬だけ弾けた。
 祈りの光だ。
 細い線が、灯籠から走っていく。
 誰かの声に応じるように、濁ったもやへ突き刺さる。
 その横を、矢が一本、風を切って抜けた。
 軌道がきれいだ。
 線の上をなぞるみたいに、濁りと肉の境目に刺さる。
 最後に、前へ踏み込む足音がひとつ。
 斜面を嫌がらない足の運び。
 重心がぶれない。
 剣が、濁った塊と灯りのちょうど間を通って抜けたのが、線で分かる。
 濁りのうなりが、ぷつりと途切れた。
 代わりに、灯籠の光が少しだけ太くなる。
『討伐完了。中堅以上ですね』
(……見えてたの、俺だけか)
 ガルドが小さく息を吐いた。
「あいつら、今日も外でやってやがるか」
 ぼそりとつぶやいて、俺には向き直らない。
「心配するな。村の外は、外縁の連中とギルドの仕事だ」
 そう言ってから、ガルドは荷車の取っ手を握り直した。
 荷車は再び動き出す。
 谷底へ下りていく途中、道が少し広くなった場所に、簡単な柵と木の柱が立っていた。
 柵の脇には、槍を持った青年が一人、腰を下ろしている。
 見張りというにはのんびりしているが、目だけはこちらをよく見ていた。
「戻ったのか、ガルドさん」
 青年が立ち上がり、荷車と、その脇にいる俺を見比べる。
「おう。いつもの荷と……拾い子ひとりだ。教会へ回す」
「拾い子?」
 青年は一瞬だけ眉をひそめたが、
「なら、あとでギルドに話が行くだろ」
 それ以上は何も聞かず、柵を少し開けるだけにとどめた。
 荷車が柵を抜け、灯籠の輪の内側へと入っていく。
 灯籠の輪をくぐるとき、空気が一段やわらかくなった。
 さっきまで肌に張り付いていたざらつきが、少し後ろへ下がる。
 光の線が、村の輪郭に沿って濃くなる。
 エルディア村。
 谷底に広がる、小さな集落。
 崖の斜面にぎっしり張り付くように家が並び、その周りを、灯籠の光がぐるりと囲んでいる。
 家ごとに、小さな祠や水晶の灯り。
 そこから伸びるマナの線が、地面の下で結び合ってひとつの輪になっていた。
(……配線図か何かかよ)
 村人たちがこちらを見る。
 槍や刃物を腰に下げている者が多い。
 腕や腰の水晶から、細い光が体に流れ込んでいるのが見える。
 それが骨や筋肉をなぞって、指先や足先へ広がっていく。
 俺だけ、世界の下書きを覗き見しているみたいだ。
 居心地が悪い。
『今見えているのは「マナ層」の流れです』
 リラが説明を添える。
『この村は、灯籠と家と人をひとまとめにして、「ひとつの祈り回路」にしていますね』
(こっちも、理(ことわり)をいじってるってことか)
『いじる、というより、祈りで触っている感じです』
『ただし――』
 リラの声が一瞬だけ低くなった。
『濁りとの境目、かなりギリギリです』
 さっき見た黒いもやが、谷の端のあちこちに薄くひっかかっている。
 灯籠の光が強いところは押し返している。
 弱いところは、じわじわと侵食されていた。
 村人たちは、それを直接は見ていない。
 けれど、空気で理解しているのだろう。
 目つきも歩き方も、「いつでも槍に手を伸ばせる」ように慣れている。
「ガルド、その子は?」
 道端の女が声をかけてきた。
 腰に布で包んだ水晶が巻きつけてある。
 そこからの光が、家の方へ薄く伸びていた。
「拾い子だ。外縁で寝てやがった」
「外縁で? 加護なしで?」
 女は目を丸くし、それから眉間に皺を寄せる。
「そんなの、理(ことわり)に逆らってるみたいな話じゃないか」
 理(ことわり)。
 その言葉を、この世界でも聞くとは思わなかった。
「教会に回す」
 ガルドは短く言った。
「神父様かリアンが見るだろ」
「そうしておくれ。理(ことわり)をこね回したものは、昔みたいに世界を壊すって、じいさんがよく言ってたよ」
 女は胸の前で印を切る。
 俺の方をちらりと見てから、視線をそらした。
 理(ことわり)をこね回すと世界が壊れる。
 それは、俺たちの世界では「実話」だ。
 ここでは、多分「教え話」だ。
『この世界でも、理(ことわり)に触れすぎることを怖がっているみたいですね』
(仕事柄、耳が痛い)
 荷車は村の中央の広場で止まった。
 石を敷き詰めた空間の一角に、ひときわ大きな建物がある。
 太い梁と石の土台。
 入口には剣と灯りを組み合わせた紋章が掲げられていた。
「あれがギルドだ」
 ガルドが顎で示す。
「冒険者ギルド。村の外へ出るやつは、みんなあそこを通る」
 中に入ると、ひんやりした空気と、人の気配が押し寄せてきた。
 広間には、掲示板とカウンター。
 カウンターの奥には、水晶板がはめ込まれた壁。
 そこから、細い光の線が受付の女の手元へと伸びている。
 受付の女――リーナが、帳面から顔を上げた。
「ガルドさん、おかえりなさい。……その子は?」
「外縁で拾った」
 ガルドは短く答える。
「祠の近くで倒れてた。記憶はあいまいだそうだ」
 リーナの視線が俺を測る。
 服装。
 傷の有無。
 足元の汚れ。
 そして、目。
 俺は、できるだけ「疲れた子ども」に見えるように立っていた。
 背筋を伸ばしすぎない。
 目を泳がせすぎない。
 大人を見過ぎない。
「名前は?」
「セイです」
「出身は?」
「……よく、覚えてないです」
 リーナは小さく息を吐いた。
「最近、拾い子が増えてる気がするわね」
「濁りのせいだろ」
 ガルドが肩をすくめる。
「支部長はいるか?」
「いる。上に通す?」
「頼む」
 二階の奥の扉の前で、ガルドが足を止めた。
 重そうな木の扉だ。取っ手には、何度も握られた跡が残っている。
 ガルドが軽くノックする。
「ガラン。拾い子を連れてきた」
「入れ」
 低い声が、扉の向こうから返ってきた。
 ガルドが扉を押し開ける。
 俺たちは二階の奥の部屋に通された。
 中は、地図と書類と、棚と、本で埋まっていた。
 壁にかけられた剣は、刃こぼれが多い。
 使われた武器だ。
 机の前にいた男――ガランは、振り返りもせず書類に目を落としていた。
 がっしりした体格に、短く刈った髪。
 歳は四十代後半か。
 目だけが若い。 状況を測る目だ。
 ガルドが簡単に状況を説明する。
 外縁で拾ったこと。
 記憶があいまいなこと。
 濁りに触れた様子はないこと。
 ガランは黙って聞き、最後に俺を見た。
 視線に重さがある。
 飾りのない秤に乗せられたような気分だ。
「セイと言ったな」
「はい」
「何か、変な夢は見たか」
 変な夢、どころではない。
 世界が崩れるところを、設計図側から全部見てきた。
「……あんまり覚えてません」
 正直に言えば、ここで終わる。
 俺は、この世界から弾き出されるか、最悪別の“処理”をされるだろう。
 ガランの目がわずかに細くなる。
 嘘を見抜く目ではない。
「危険かどうか」を測る目だ。
 しばらく沈黙が続いた。
 やがて、ガランは机の上の木札を指先で叩いた。
 そこから薄い光が立ち上り、壁の水晶板へと伸びる。
「素性の知れない子どもを、この村で放っておくわけにはいかん」
 低い声が部屋に響く。
「だが、理(ことわり)の外側に踏み込んだものを野放しにもできん」
 理(ことわり)の外側。
(俺がこの村で宙ぶらりんな立場なのを、別の言葉に言い換えてチクリと指摘してくる)
「まずは教会で診てもらえ」
 ガランは結論を告げた。
「魂と体の線を見てもらう。何かあれば、教会からこっちに話が来る」
「分かった」
 ガルドがうなずく。
 ガランは、俺にだけ視線を戻した。
「いいか、セイ」
「はい」
「ここは祈りで成り立っている村だ。理(ことわり)をねじ曲げる真似は、誰であれ歓迎されん」
 言葉は穏やかだが、その裏に硬い線がある。
「お前が何者であっても、村の線を切るなら止める。だが――」
 一拍置いて、口調が少しだけ柔らかくなった。
「生きる線を選ぶなら、俺たちは手を貸す。覚えておけ」
 俺は、素直に頭を下げた。
「……はい」

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 ギルドを出て、今度は教会へ向かう。
 広場の端、灯籠の輪の内側に、白い建物が立っていた。
 尖った屋根と、丸い窓。
 入口の上には、祈りの印と水晶がはめ込まれている。
 扉を開けると、涼しい空気と香の匂いが流れてきた。
 中は広く、中央に長い椅子。
 奥には祭壇と大きな水晶。
 そこから、村の外周へと無数の線が伸びていた。
 ちょうどそのとき、一人の少女が祭壇の前に立っていた。
 肩までの髪を後ろでまとめ、白い服の上から淡い色のローブを羽織っている。
 両手を胸の前で組み、静かに目を閉じていた。
 祈りの言葉は、俺には聞き取れない。
 けれど、線が動く。
 祭壇の水晶から立ち上る光が、村中の灯籠へ一斉に広がる。
 家の祠。
 外縁の灯り。
 畑の隅の小さな石。
 すべてが同じリズムで脈打つ。
(……これが、この世界の“祈りインターフェース”か)
「リラ、祈りって、どうやって“届いてる”?」
 心の中で問いかけると、リラが一瞬だけ黙った。
『……少し待ってください。また関連フォルダのアクセス権確認が走りました』
(また例のフォルダか)
 数秒後、頭の奥で小さな表示が浮かぶ。
 《ACCESS PERMISSION:祈り関連フォルダ LIMITED》
『はい、今の質問で“祈りの届き方”に関するフォルダが限定開放されました』
「じゃあ、俺が何も聞かなかったら、知らないままのこともある?」
『時間とともに自動で共有される情報もありますが、効率は良くありません』
『セイの“疑問”は優先度ラベルとして扱われるので、先に整理されて降りてきます』
「だったら、これからも遠慮なく聞くさ。分からないまま進むのは、仕事柄、性に合わない」
『推奨方針です。セイが質問して、わたしが探して要約する』
「いいチームだな」
『はい、自覚はあります』
 軽口を交わしつつも、祈りの光は止まらない。
『では、本題に戻します。祈りがどう“届いているか”ですが――』 要約すると──祈りの形をした命令信号が、マナ層を経由して理(ことわり)層に届いています』
 祭壇の水晶から立ち上る光が、村中の灯籠へ一斉に広がる。
 家の祠。
 外縁の灯り。
 畑の隅の小さな石。
 すべてが同じリズムで脈打つ。
『この教会と祭壇の水晶は、そのためのインターフェースです。ここで組まれた“お願い”が、村じゅうの灯籠回路に流れ込んでいます』
(つまり、あの水晶が、この世界の「操作パネル」ってわけか)
『はい。祈りが命令信号になって、マナ層を経由して理(ことわり)層に届いています。
 ただし詳細仕様は、今の権限では黒塗りですね』
 水晶の光は少し落ち着き、村じゅうの線だけがゆっくりと脈を刻み続けていた。
 少女がゆっくり目を開ける。
 こちらに気づいて、微笑んだ。
「いらっしゃい」
 声は澄んでいて、よく通る。
「ガルドさん、その子が噂の拾い子?」
「ああ」
 ガルドが頷く。
「支部長の指示だ。魂と体を見てやってくれ」
 少女――リアンは、俺の前まで歩いてきた。
 距離を詰めすぎない。
 けれど、逃げ道を塞ぐほどでもない絶妙な位置だ。
「セイ、くん?」
「はい」
「手、いい?」
 差し出された手に、自分の手を重ねる。
 リアンの指先が、俺の手の甲を軽くなぞった。
 その瞬間、細い光の線が、俺の腕を通って胸へと流れ込んでいくのが分かった。
 自分の中身を、他人に覗かれているような感覚。
 居心地が悪い。
『簡易診断です。生命力とマナの流れをチェックしています』
(変なもの、見つかるか)
『理(ことわり)層までは触れていません。落ち着いて』
 リアンは目を閉じたまま、少しだけ首をかしげた。
「ふしぎ」
 ぽつりと言う。
「体は、すごくきれい」
「きれい?」
「傷も毒もないし、骨も筋も、まっすぐで強い線」
 リアンは、俺の胸元あたりを指でなぞる。
「なのに、魂のほうが、ちょっとくたびれてる」
 図星だ。
 中身は中年だし、世界が崩れる瞬間まで働いていた。
「でも、壊れてはいない」
 リアンは目を開け、柔らかく笑った。
「少し休めば、ちゃんと歩ける。……そういう線をしてるよ」
「診れるのか、そんなもん」
 ガルドが感心したように言う。
「祈りとマナの線を、ちょっとね」
 リアンは肩をすくめる。
「しばらく教会で寝てもらおうかと思うんだけど、いい?」
「助かる」
 ガルドがほっと息を吐いた。
「外縁で倒れてたって聞いたときは、どうなるかと思ったぞ」
 リアンが俺の方を見る。
「セイくん」
「はい」
「ここでは、変な理(ことわり)の話はしないほうがいい」
 笑っているのに、目は真剣だ。
「理(ことわり)のことは、神さまの仕事。人が触りすぎると、世界がゆがむって、昔から言われてるから」
 それは、半分は正しいし、半分は遅すぎる。
 俺たちはもう一度、世界をゆがませて壊した。
「……分かりました」
 俺は素直にうなずいた。
「ここでは、あまり変なことはしません」
「“あまり”?」
 リアンがくすっと笑う。
「じゃあ、“危険なほう”はちゃんと止めるから。疲れたら言ってね」
 寝床と、簡単な食事が用意された。
 教会の奥の、小さな部屋。
 硬いベッドと、薄い毛布。
 それでも、外縁の土よりはずっとましだ。
 横になり、天井を見上げる。
 木の板の隙間から、灯籠の線が透けて見える。
 村全体が、ひとつの回路としてゆっくり脈打っていた。
『この世界も、だいぶ限界に近いですね』
 リラの声が、不意に静かになる。
『濁りの分布と灯籠の出力を合わせて見ると、十数年単位で不安定化が進んでいます』
(うちの世界みたいに、一気に崩れる?)
『そこまではまだ。祈りのフィードバックがあるぶん、時間は稼げている』
『でも、バグの種類が違う。前回とは別の壊れ方をしそうです』
 俺は目を閉じた。
 暗闇の向こうに、細い線が無数に浮かぶ。
 村の灯り。
 外縁の祠。
 さっき遠くで見た、剣と祈りの線。
 そして、その間をぬって広がる黒いノイズ。
(また、世界が壊れるかもしれない)
 そう思った瞬間、胸の奥で何かが固まった。
 逃げたい気持ちは、もちろんある。
 でも、俺は一度、それから逃げずに見届けると決めた。
 理(ことわり)が崩れる瞬間まで、目をそらさないと。
 なら、今も同じだ。
(まずは、ここで身を潜める)
(誰が敵で、誰が味方で、世界がどこから崩れかけているのか)
(この村から、もう一度理解を始める)
 教会の鐘が遠くで鳴った。
 村のマナの線が、ゆっくりと一度だけ強く脈打つ。
 俺は、硬いベッドの上で小さく息を吐いた。
 この世界での最初の線を、自分の中に引いた気がした。
 ――理(ことわり)を恐れる村で、理(ことわり)を隠して生きていく。
 その決意を抱えたまま、俺はしばらく目を閉じていた。

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